2度、金沢を訪れているヘレン・ケラー女史
見えない、聞こえない、話せないの三重苦を抱えたヘレン・ケラー女史が金沢を訪れていたことを知っている人はそれほど多くはないと思います。
それも、2度も来られています。
最初は、戦前、金沢出身の林銑十郎首相の時期の1937(昭和12)年6月で、林首相の働きがあったことが伺われます。
2度目は、70年前、戦後の1948(昭和23年)9月です。
2度目は、稲刈りの時期
このとき、金沢市内から郊外にある湯涌温泉に向かう途中、稲の香りに驚嘆したことが伝えられています。
湯涌温泉の近くで米作りをしている友人に、「ヘレン・ケラーが湯涌温泉に行く途中、稲の香りに驚嘆したことをアピールしては」と言うと、そのとき、自分の親がヘレン・ケラーと一緒に撮った写真があるというので、見に行きました。
写真と一緒に、そのときの様子を伝える(北陸)毎日新聞(日刊)のコピーもあり、読ませてもらいました。
「早場米を手に」
との見出しで、そのときの様子が紹介されています。
記事によると、湯涌温泉へ向かう途中ではなく、9月24日の午前、宿泊をしていた湯涌温泉の白雲楼ホテルから講演会場へ向かう途中、昨日の雨にぬれた刈入れの稲をミノ姿で稲かけに、吊すのに余念がない浅川村北袋 酒井實氏(31歳)、とよ子さん(26歳)の百姓夫婦に近づき、ケラー女史が「オオ何といいかおりでしょう。黄金のにおいがする。」と,穂に顔を埋めたと書かれています。
毎日新聞社、HKC委員会 共催の講演が目的
(北陸)毎日新聞の記事に利用されている写真は、ケラーとトムソンの両女史と酒井夫婦と撮った上記の写真だけですが、金沢へ来られた目的である講演についても掲載されています。
また、盲人福祉法案の国会提出を促進するため、金沢から葛西厚生次官宛てに打った電文も紹介されています。
※当時の厚生大臣は、石川県出身の竹田儀一氏(金沢市史 3より)
ケラー女史が初来日をしたときの首相
林銑十郎首相家の墓所
首相官邸でケラーと面会したとき、林首相は、「『三眼』すなわち外形に見える両眼の他に、人に見えぬ眼があり、これを『心眼』と呼ぶ旨を話した」とされています。
(金沢市史 3より)