詩魂の記念堂 - 藤村記念館

馬籠にある藤村記念館

 

馬籠宿の島崎藤村の生家跡に建てられたものです。
藤村の生家は、馬籠宿の本陣でしたが、1895年の大火で焼失し、戦後の1947年、建築家谷口吉郎氏の設計により建てられました。

 

今回、藤村記念館へ行きたいと思ったのは、設計をされた谷口吉郎氏のご子息で、同じく建築家の谷口吉生氏から、この建物について、お話を聴いたことが切っ掛けです。 

 

藤村記念館が建てられたのは

 

「藤村を顕彰するものを造りたい」と考えた馬籠の青年により「ふるさと友の会」が

結成されたのが始まりとのことです。

戦後の物資がないときに、地元の材料と村人の寄進により完成した和風のこじんまりとした建物ですが、吉郎氏の代表作の一つと言われています。

 

 堂は詩魂に捧げられた建物

 

 馬籠の記念堂   谷口吉郎氏より

 

 ・・・・風土のままの材料によってこの記念堂の建築が築きあげられたのであった。

従って私の設計もその風土の技術と材料に応ぜねばならなかった。始めて青写真をみる農民のために私は設計せねばならなかった。それにも拘らず村人自身が進んで何度も何度も作りかえした。工事中いろいろな苦難も起こったがそれも克服された。田畑のいそがしい時には昼は働き夜は遅くまで工事が進められた。石材は深い谷川から村の娘たちや幼い子どもまでが肩にかついで運んで来た。また、馬もけわしい坂道をかけ登った。一切が全く心からの寄進である。

中世の昔アルプスの山奥に村人が小さな教会堂を築く時もこんな工事であったろうと私は思う。その中世の建築は神に捧げられたものであった。

しかし、馬籠の記念堂は詩魂に捧げられた建築である

   

作家と肩を並べる谷口吉郎氏

         落成式の写真より

 

藤村記念館の落成式なので、文人の参加が多いのは当然ですが、その人たちと一緒に写真に写っているのはたまたまなのでしょうか

 

吉郎氏は、文学碑の設計もされていて、それも日本で最初に設計をされたとの記憶から、氏の文学碑の設計の歴史を調べてみると、藤村記念館の落成式の3日後に金沢において、氏が設計された「徳田秋聲文学碑」の序幕式が行われています。

そして、自らを「意匠設計士」と言われていたそうです。

 

「徳田秋聲文学碑」

      日本の「文学碑」第1号と紹介

徳田秋聲記念館のホームページより

谷口によれば、「徳田秋聲文学碑」は、「日本で最初の文学碑」だといいます。碑の建立は、戦後間もない時代であり、秋聲長男の徳田一穂、谷口を紹介した詩人・野田宇太郎をはじめ多くの文壇人の助力を得るとともに、地元総力を挙げての一大プロジェクトでした。また、秋聲賛の最たるものとして現在よく知られている「日本の文学は源氏に始まり西鶴に飛び、西鶴から秋聲に飛ぶ」との川端康成の言は、この碑の除幕式前夜に行なわれた記念講演におけるものでした。

 

 日本建築学会賞 第1回 1949年

作品賞に慶應義塾大学校舎「4号館及び学生ホール」と一緒に選ばれた藤村記念館

設計は、いずれも谷口吉郎氏

参 考

 藤村記念館の展示より

三智のことば

 人の世に三智がある

 学んで得る智

 人と交わって得る智

 みずからの経験によって得る智 がそれである。

           古希記念出版 藤村の歩める道

 

そういう自分は今日に行き詰っているばかりでなく、

出発のそもそもからすでに行き詰っていた。

でも、歩いて出るたびに道が開けた。

地に触れるたびに活き返った。